櫻井 翔 若い 頃の姿を知っているファンは、今もその記憶を宝物のように大切にしている。1982年生まれのこの男が、まだ10代だった頃——細い体で自信なさげにステージに立っていたあの姿が、いつの間にかNEWS ZEROのメインキャスターとして日本のリビングに届く存在になった。誰もが知っているようで、実はほとんど知られていない。デビュー前の素顔、慶應義塾大学への進学、そしてジャニーズJr.時代の知られざるエピソード。今回はそのすべてを、思い切り深掘りしていく。
エンターテインメント業界の最前線に立ち続ける彼だが、櫻井 翔 若い 頃の話になると、周囲の口は急に重くなる。それがかえって好奇心を刺激する。嵐のメンバーとして1999年にデビューするまでの数年間、彼はいったい何を考え、何に悩み、どんな夢を抱いていたのか。その問いに正面から向き合うのが、この記事の使命だ。
デビュー前夜——ジャニーズJr.時代の知られざる日々
1996年頃、まだ中学生だった櫻井翔はジャニーズ事務所の扉を叩いた。当時の事務所は今とは違うエネルギーに満ちていて、廊下ですれ違う先輩たちの背中がすべて教科書だった、と後の取材で語っている。ジャニーズJr.時代、彼は特別目立つ存在ではなかった——少なくとも表向きは。ダンスの精度より、歌よりも、むしろ「空気を読む力」が突出していたと当時を知る関係者は口をそろえる。その観察眼は、後のキャスター業にも直結している。
Jr.時代の練習は週に何度もあり、学業との両立が最初の試練だった。普通の中学生がゲームセンターに行く時間、彼はスタジオで汗を流していた。それでも成績を落とさなかったのは、ただの根性論ではない。時間の使い方が、あの頃から既に違った。同期のJr.メンバーが帰宅後にテレビを観ている間、彼はノートを広げていた——という話は、後に本人が笑いながら明かしたエピソードだ。
慶應義塾大学進学という「反骨」の選択
2001年、嵐としてすでにデビューを果たしていた櫻井翔は慶應義塾大学法学部に現役合格した。これはJ-POPアイドル業界では前代未聞に近い出来事だった。事務所がどう反応したか、本人がどれほど周囲の反対を押し切ったか——その詳細は今も完全には明かされていないが、「アイドルが大学に行く」という選択が、当時いかに異質だったかは想像に難くない。
キャンパスでの生活は、芸能界とは全く別の空気が流れていたという。マスクをしても気づかれることがある有名人でありながら、彼は講義に出席し、レポートを提出し、教授と議論も交わした。「普通の学生でいられる時間が、逆にアイドルとしての自分を支えてくれた」——そんな言葉が、インタビューの断片から浮かび上がる。学歴コンプレックスとは無縁な、純粋な知的好奇心が彼を動かしていた。
デビュー前の秘蔵写真と語られなかったエピソード
ファンが長年追い求めてきたのは、まさにこの部分だ。1999年のデビュー前後、ハワイで撮影されたという嵐の初期ビジュアル。あの時代の写真を見ると、今の洗練された佇まいとは全く異なる、あどけなさが全面に出た少年の顔がある。当時17歳の櫻井翔は、カメラの前でどこか緊張しっぱなしだったと、同行したスタッフが後に話している。
知られざるエピソードとして語り継がれているのが、デビュー決定の瞬間だ。メンバー5人がまとめてデビューを告げられたのは、ほんの直前だったとされる。「嵐」という名前を聞いた時、意味をすぐに理解できなかったと後に松本潤が語った場面がある。その横に立っていた若き日の櫻井翔も、きっと同じ表情をしていたはずだ。夢が現実になった瞬間の、あの独特の空白感。
また、デビュー当初のレコーディングでは、ラップのパートを任された際に本人が強く戸惑ったというエピソードも残っている。「なぜ自分がラップなのか」——当時そう思ったと本人が認めているが、結果的にそれが彼の最大の武器になった。ラップアーティストとしての櫻井翔は、嵐の楽曲において唯一無二の存在感を放ち続けた。
映画『La Promesse』が映し出した若き日の可能性
2004年に公開された映画『La Promesse』は、俳優・櫻井翔の原点と呼ぶファンも多い。まだ20代前半だった彼が、スクリーンの中で見せた表情の複雑さは、アイドル映画の枠を軽々と超えていた。監督が彼を選んだ理由として語ったのが「目の奥に何かを隠している感じ」だったというのは、非常に示唆に富んでいる。
この作品を機に、彼はエンターテインメント業界における自分の座標を少しずつ変えていく。歌って踊るだけのアイドルではなく、伝える力を持つ表現者として——その転換点は、若い頃の積み重ねなしにはあり得なかった。
NEWS ZEROキャスターへの道——エリートアイドルの必然
日本テレビの看板報道番組NEWS ZEROで週に一度届く彼の言葉は、ただ台本を読む声ではない。選ぶ言葉に、間の取り方に、視聴者への向き合い方に——あきらかに一般的なアナウンサーとは違う体温がある。
それはどこから来るのか。答えはやはり、若い頃の経験に行き着く。法学部で鍛えた論理的思考、ジャニーズJr.時代に身につけた人の気持ちを読む力、そして嵐のメンバーとして何万人もの前に立ち続けた場数——これらすべてが混ざり合って、あのキャスター席の男が出来上がっている。日本のバラエティ番組にも軽やかに登場し笑いを取りながら、翌日には深夜の報道に戻る。その振り幅は、鍛錬なしには作れない。
ARASHIとしての歩みが証明したこと
嵐(アーティスト)として20年以上の活動を経て、ARASHI(英語表記)は国際的な認知度も獲得した。Netflixとの独占配信契約、世界各地のファンベース——これらは2019年以降の話だが、その礎は間違いなく1999年のデビューから積み上げられてきた。
若い頃の苦労や迷いがあったからこそ、今の櫻井翔がいる。成功した人物の「若い頃」を掘り下げることは、単なる好奇心ではない。そこには必ず、今の姿につながる何かが埋まっている。彼の場合、それが特にくっきりと見えるのは、アイドルと知識人という一見相反する二面性を、ずっと手放さずに生きてきたからだろう。どちらかを捨てることが楽だったはずなのに、そうしなかった。その頑固さだけが、今の彼を作った。 (出典: 櫻井 翔 若い 頃(Yahoo!ニュース))